木原音瀬について今まで何度も語りたいと思っていたのだが、語るにはまだ読んでいる作品数が少なすぎるので諦めてきた。
現段階でも初期の作品は読んでいないし、設定で避けている作品もある。それに雑誌掲載だけの作品は知らない。
おおざっぱな感触では7割ぐらい読んでいると思う(数えるのが面倒なので単なるイメージ)から、どうせならイメージ9割ぐらいになってから語ればいいんじゃないかと思ったりもする。
けど、最近谷脇愛(※1)が強いためににわかコノハラー(※2)なので、機会があったら語りたい、機会がなければ自分で作る!ぐらいの勢いになっている。
というわけでちょっと語ってみようかと。
ちなみに熱く語っていると書き忘れがひどくなるので、きっと追記するだろうという自分への不信感から「1」にしたけど、「2」があるかどうかは分からない。
※1 「植物シリーズ」のキャラに対するワタクシの愛情。
※2 木原ファン。「熱狂的な」と頭につけるかどうかとか、細かいニュアンスは不明。知らないなら使わなければいいと思うんだが、そう思うと使いたくなるから困る。
木原作品は買っても借りても、すぐに読み始めることはほとんどない。読むだけでも相当パワーが必要なので積読にしてしまう。でも、忘れているわけではない。毎日、背表紙をちらちら眺めながら、「これから取り掛かる大きな仕事」として意識していたりする。そうやっているうちにある日突然心の準備が完了し、読み始めれば一気読みという状態になる。大袈裟な書き方だが、本当にそうなんだから仕方ない。
私にとっては、「あの木原音瀬」とか「木原作品だから」とか言いたくなってしまう作家さんだ。
木原作品との馴れ初めは『LOOP』をお借りしたことだった。
読んでみて「小説として面白い」「キャラがどうしても好きになれない」「文章が読みやすい」「上手い」「苦手なストーリー」という感想を持った。
これをまとめれば、「趣味に関係なく印象的で、気がつくと引き込まれている」という感じ。
この後読んだ作品もキャラやストーリーは趣味に合わないものの、読まないと後悔するような気がして、全部人からお借りして読んだ。
「読みたいけど、絶対に再読しないから」というのが買わない理由。
木原ファンである友人に対して言っているのだから、これはひどい暴言だ。閣僚なら辞任、サッカーならレッドカードで一発退場レベル。深く反省しています…。
でも、「木原作品だから」許してほしい。(反省は?)
もちろん何度も再読している作品も、これから再読したい作品も多数ある。
木原作品を語る上では「痛い」という表現をよくしてしまう。
容赦のない設定、容赦のない展開、容赦のない描写、容赦のない結末、抉るような心理描写を指しているのだが、この、同じことを書くにしても普通なら読みやすくするためにソフトタッチにするところで筆を緩めないのが、木原作品の大きな特徴ではないかと。ソフトどころか、これでもかこれでもかと襲い掛かってくる。「ここまで描くのか?」と読んでいて辛くなってくるのだが、逃げずに書ききってくれるので一種の爽快感もある(…あるのかな)し、中途半端に書かないので読んでいるこっちも迷いが吹っ切れて、かえって読みやすいときもある。
だが、いくら読後にカタルシスが得られると分かっていても、好んで「痛い」ものを読むわけではないし、主人公が心身ともにボロボロになっていくのは、感情移入している読者にとってもしんどいものだ。…途中の痛さを耐え忍ぶだけの価値がある、素晴らしい展開が待っていることも多いと知っているから、つい手にとってしまうが道のりは険しい。これ以上は耐えられません、もう勘弁してください、私が何をしたっていうんですか…と苦しみながら、しかもその苦痛を楽しみながら読み続けることになる。
そうやって読み終わったときの満足感ときたら……、ちょっと癖になってしまうものがある(笑)
最近の作品では、ちょっとだけ手を緩めてくれるようになったので読みやすくなっているのだが、あまり油断しないでおこうと密かに思っている。
書き方としてはドライで、キャラを突き放している印象がある。
「自作キャラに感情移入して泣きながら書きました」とは言わない人だと思う。木原キャラに「別格」はいない。どのキャラも同じように突き放されているように思える。
ときには救いのなさを感じるときもあるが、このスタイルだからこそ人間の弱さ、強さ、醜さ、美しさを突き詰めて表現できるのではないかと思う。
だから好き嫌いは別として、読了後に必ず心に残るものがある。
これは蛇足かもしれないが、キャラを突き放しているというのは、キャラへの愛情が感じられないという意味ではない。
木原作品は設定だけで「カンベンしてよ」と言いたくなってしまうことがある。
読みづらそうというよりは、受け付けない。書き方でぼかしたりしないことが分かっているだけに、「その設定じゃ読めない」と逃げてしまいたくなる。それもひとつの自衛策かもしれないが……。
そのカンベンな設定の中でとくに厳しいのが、モラルに抵触する場合だ。
作者がキャラの心情など考えていなそうな陵辱系(失礼…※3)は除き、攻を「鬼畜」設定にする場合、どこかで逃げ道を用意しておくのがBLのセオリーだと思う。いちばん多いのが「愛のある鬼畜」と呼ばれるタイプだろうか。「愛のある鬼畜」は愛するがゆえの鬼畜行為であるので、愛情が免罪符ということになる。
ところが木原作品の場合、犯罪は犯罪であり、読者に情状酌量など求めていないようだ。言い訳されないことで、その非人道的ともいえる行為を受け入れなくてすむので(間違っていると指摘しなくてすむので)、私などは「愛のない鬼畜」のほうが読みやすかったりする。人によって好みが分かれるところだろうし、「愛のある」場合は読者が受け入れられる範囲での鬼畜行為がほとんどだと思うが。
木原作品の倫理的に問題のある作品は、自分の中のモラルがどこにあるかを突きつけられる危険性が高いし、そのせいで悩んでしまうこともある。だが、誤魔化しなく「痛いこと」として描かれるために、許せないと思うことがあっても「それはそれとして」小説自体は楽しめる。いつの間にか作品に引き込まれているので、許せないからといって本を置く暇もないし、読み終われば感動しているから不可抗力というか、読んだら最後というか…。
※3 私は趣味として陵辱系を好まないし、エロのためだけにキャラの心情に踏み込まずにストーリーが進むタイプの作品に対してこういう書き方をしたが、自分の趣味と違うからといって否定しているわけではない。軽いノリの陵辱系を楽しむのは個人の趣味の問題で、他人が口出しすることでもないと思う。
「知らない間に引き込まれている」というのも、木原作品の特徴だと思う。最初は最低だと思ったキャラが読み終わるころには魅力的に思えていたりする。多少、強引な展開だと頭で思っても、どこかで(どこだか分からないが)納得のいく方向に持っていかれているので、引っかかりは覚えないことが多い。もちろんそうではない読者もいるだろうが、私にとっては木原マジックだ(笑)
これにかかってしまうのも、快感で。
木原作品は私の趣味に合わないことが多い。
小説として面白いし完成度が高いので読めば満足するが、本当のところ、もう少し分かりやすい魅力を持ったキャラや、甘さを感じる展開のほうが読みやすい。
でも、趣味に合わなくても、文句なく面白いので読む。趣味に合わないまでも、魅力を感じることが多いという、BL作品としては珍しい読み方になってしまっているが、だんだんそういうものなんだと慣れてきた。
趣味に合わなくてもいいと思っているので、時々趣味に合ってしまうと、はまりすぎて困ったことになる。うっかりはまってしまった今では、やっぱり趣味に合わないぐらいがちょうどいいんじゃないかと思い始めている…。
ちなみに好きな作品を選ぶとキャラが好きな作品と被るのだが、BL好きな人間としてこれだけは外せないという別枠で好きな作品というものもあり、好きではないが感動したので自分の好みを無視してでも好きだと言いたい作品というのもある。そしてこれだけはどうしても苦手、という作品も中にはある。
単純に好き嫌いを語れないのも木原作品の特徴かもしれない。
とりあえず私の木原ブームはまだ続きそうだ。
最近は新刊が出ると自分で買って読むようになったし。
品薄になっていた植物シリーズに再版がかかると聞いて、ちょっと嬉しい。
現段階でも初期の作品は読んでいないし、設定で避けている作品もある。それに雑誌掲載だけの作品は知らない。
おおざっぱな感触では7割ぐらい読んでいると思う(数えるのが面倒なので単なるイメージ)から、どうせならイメージ9割ぐらいになってから語ればいいんじゃないかと思ったりもする。
けど、最近谷脇愛(※1)が強いためににわかコノハラー(※2)なので、機会があったら語りたい、機会がなければ自分で作る!ぐらいの勢いになっている。
というわけでちょっと語ってみようかと。
ちなみに熱く語っていると書き忘れがひどくなるので、きっと追記するだろうという自分への不信感から「1」にしたけど、「2」があるかどうかは分からない。
※1 「植物シリーズ」のキャラに対するワタクシの愛情。
※2 木原ファン。「熱狂的な」と頭につけるかどうかとか、細かいニュアンスは不明。知らないなら使わなければいいと思うんだが、そう思うと使いたくなるから困る。
木原作品は買っても借りても、すぐに読み始めることはほとんどない。読むだけでも相当パワーが必要なので積読にしてしまう。でも、忘れているわけではない。毎日、背表紙をちらちら眺めながら、「これから取り掛かる大きな仕事」として意識していたりする。そうやっているうちにある日突然心の準備が完了し、読み始めれば一気読みという状態になる。大袈裟な書き方だが、本当にそうなんだから仕方ない。
私にとっては、「あの木原音瀬」とか「木原作品だから」とか言いたくなってしまう作家さんだ。
木原作品との馴れ初めは『LOOP』をお借りしたことだった。
読んでみて「小説として面白い」「キャラがどうしても好きになれない」「文章が読みやすい」「上手い」「苦手なストーリー」という感想を持った。
これをまとめれば、「趣味に関係なく印象的で、気がつくと引き込まれている」という感じ。
この後読んだ作品もキャラやストーリーは趣味に合わないものの、読まないと後悔するような気がして、全部人からお借りして読んだ。
「読みたいけど、絶対に再読しないから」というのが買わない理由。
木原ファンである友人に対して言っているのだから、これはひどい暴言だ。閣僚なら辞任、サッカーならレッドカードで一発退場レベル。深く反省しています…。
でも、「木原作品だから」許してほしい。(反省は?)
もちろん何度も再読している作品も、これから再読したい作品も多数ある。
木原作品を語る上では「痛い」という表現をよくしてしまう。
容赦のない設定、容赦のない展開、容赦のない描写、容赦のない結末、抉るような心理描写を指しているのだが、この、同じことを書くにしても普通なら読みやすくするためにソフトタッチにするところで筆を緩めないのが、木原作品の大きな特徴ではないかと。ソフトどころか、これでもかこれでもかと襲い掛かってくる。「ここまで描くのか?」と読んでいて辛くなってくるのだが、逃げずに書ききってくれるので一種の爽快感もある(…あるのかな)し、中途半端に書かないので読んでいるこっちも迷いが吹っ切れて、かえって読みやすいときもある。
だが、いくら読後にカタルシスが得られると分かっていても、好んで「痛い」ものを読むわけではないし、主人公が心身ともにボロボロになっていくのは、感情移入している読者にとってもしんどいものだ。…途中の痛さを耐え忍ぶだけの価値がある、素晴らしい展開が待っていることも多いと知っているから、つい手にとってしまうが道のりは険しい。これ以上は耐えられません、もう勘弁してください、私が何をしたっていうんですか…と苦しみながら、しかもその苦痛を楽しみながら読み続けることになる。
そうやって読み終わったときの満足感ときたら……、ちょっと癖になってしまうものがある(笑)
最近の作品では、ちょっとだけ手を緩めてくれるようになったので読みやすくなっているのだが、あまり油断しないでおこうと密かに思っている。
書き方としてはドライで、キャラを突き放している印象がある。
「自作キャラに感情移入して泣きながら書きました」とは言わない人だと思う。木原キャラに「別格」はいない。どのキャラも同じように突き放されているように思える。
ときには救いのなさを感じるときもあるが、このスタイルだからこそ人間の弱さ、強さ、醜さ、美しさを突き詰めて表現できるのではないかと思う。
だから好き嫌いは別として、読了後に必ず心に残るものがある。
これは蛇足かもしれないが、キャラを突き放しているというのは、キャラへの愛情が感じられないという意味ではない。
木原作品は設定だけで「カンベンしてよ」と言いたくなってしまうことがある。
読みづらそうというよりは、受け付けない。書き方でぼかしたりしないことが分かっているだけに、「その設定じゃ読めない」と逃げてしまいたくなる。それもひとつの自衛策かもしれないが……。
そのカンベンな設定の中でとくに厳しいのが、モラルに抵触する場合だ。
作者がキャラの心情など考えていなそうな陵辱系(失礼…※3)は除き、攻を「鬼畜」設定にする場合、どこかで逃げ道を用意しておくのがBLのセオリーだと思う。いちばん多いのが「愛のある鬼畜」と呼ばれるタイプだろうか。「愛のある鬼畜」は愛するがゆえの鬼畜行為であるので、愛情が免罪符ということになる。
ところが木原作品の場合、犯罪は犯罪であり、読者に情状酌量など求めていないようだ。言い訳されないことで、その非人道的ともいえる行為を受け入れなくてすむので(間違っていると指摘しなくてすむので)、私などは「愛のない鬼畜」のほうが読みやすかったりする。人によって好みが分かれるところだろうし、「愛のある」場合は読者が受け入れられる範囲での鬼畜行為がほとんどだと思うが。
木原作品の倫理的に問題のある作品は、自分の中のモラルがどこにあるかを突きつけられる危険性が高いし、そのせいで悩んでしまうこともある。だが、誤魔化しなく「痛いこと」として描かれるために、許せないと思うことがあっても「それはそれとして」小説自体は楽しめる。いつの間にか作品に引き込まれているので、許せないからといって本を置く暇もないし、読み終われば感動しているから不可抗力というか、読んだら最後というか…。
※3 私は趣味として陵辱系を好まないし、エロのためだけにキャラの心情に踏み込まずにストーリーが進むタイプの作品に対してこういう書き方をしたが、自分の趣味と違うからといって否定しているわけではない。軽いノリの陵辱系を楽しむのは個人の趣味の問題で、他人が口出しすることでもないと思う。
「知らない間に引き込まれている」というのも、木原作品の特徴だと思う。最初は最低だと思ったキャラが読み終わるころには魅力的に思えていたりする。多少、強引な展開だと頭で思っても、どこかで(どこだか分からないが)納得のいく方向に持っていかれているので、引っかかりは覚えないことが多い。もちろんそうではない読者もいるだろうが、私にとっては木原マジックだ(笑)
これにかかってしまうのも、快感で。
木原作品は私の趣味に合わないことが多い。
小説として面白いし完成度が高いので読めば満足するが、本当のところ、もう少し分かりやすい魅力を持ったキャラや、甘さを感じる展開のほうが読みやすい。
でも、趣味に合わなくても、文句なく面白いので読む。趣味に合わないまでも、魅力を感じることが多いという、BL作品としては珍しい読み方になってしまっているが、だんだんそういうものなんだと慣れてきた。
趣味に合わなくてもいいと思っているので、時々趣味に合ってしまうと、はまりすぎて困ったことになる。うっかりはまってしまった今では、やっぱり趣味に合わないぐらいがちょうどいいんじゃないかと思い始めている…。
ちなみに好きな作品を選ぶとキャラが好きな作品と被るのだが、BL好きな人間としてこれだけは外せないという別枠で好きな作品というものもあり、好きではないが感動したので自分の好みを無視してでも好きだと言いたい作品というのもある。そしてこれだけはどうしても苦手、という作品も中にはある。
単純に好き嫌いを語れないのも木原作品の特徴かもしれない。
とりあえず私の木原ブームはまだ続きそうだ。
最近は新刊が出ると自分で買って読むようになったし。
品薄になっていた植物シリーズに再版がかかると聞いて、ちょっと嬉しい。
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